コラム「猫の手も借りたい」№271 浮世絵のネコ

江戸の「浮世絵に描かれているネコ」の展覧会に、足を運んだ。
絵の中で美女と戯れるネコ、歌舞伎に出てくるネコ、擬人化されたネコ、ネコ、ネコ、ネコである。

順路に従って見ていったが、途中から気が付いたことがあった。描かれているネコたちは、キジトラ、チャトラはほぼいないが、ミケが圧倒的に多く、ましてやミケはメスなのに擬人化されたネコの中でも明らかに男性を思わせる描き方のものも多い。

もうひとつ、ネコたちの尻尾が思いのほか短く、長いものがほとんど描かれていない。
うーん、なぜ?? 気が付いた時から見終わるまでずっとその状態は変わらず。

帰宅してからちょいと検索、調べてみたら、いろんなことが判った。

まず、ネコの毛色について。
その時代「3」という数が縁起がよいとされ、故に三毛/ミケが多く描かれる結果となったらしい。
キジトラもチャトラも、そしてサビ(こげ)も白、黒も巷にはいたと思われるが描かれているのは、三毛が一番多く、そしてシロクロ、チャシロと続く。

また、尾短かはどうなっているかというと、平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめ頃に描かれている「鳥獣戯画」の中のネコのそれは長いキレイな尻尾をしている。
ところが江戸時代になると、ネコマタ(猫又)という妖怪がいると信じられ、その妖怪は尾の先がふたつに割れている、という特徴があったらしい。

尾が長いと長生きしたネコは、尾の先が割れてネコマタ(妖怪)になるんじゃ、ということを恐れ尾の短い子が好まれたらしい。
短いだけではなく、うさぎの尾のようにまん丸の子、要はボブテイルですね、や尾曲りの子も好まれ、江戸の人たちは交配させる時は短い尾の子を選んでかけあわせていたようである。
そのこだわりも段々薄れ、尾短かは劣性遺伝なんで結局自然と尾が長い子も増えて行って、現在にいたるらしい。

ついでにチャシロ、チャトラのルーツについて。
鎖国時代、長崎の出島に出入りしていたアジアから来た米を積んだ船の鼠害を防ぐのに、積まれてきたのがチャシロ、チャトラ、それも尾短かの子が多かったらしい。この優秀で鼠退治が得意のネコたちが逃げ出して、そこから全国に広まったという説がある。
この毛色で尾が短い子は鼠をよくとる、ということで重宝されたみたいである。

渡来の話をもう一つ。
遣唐使の頃だから聖徳太子もご存じの話かも。
中国からたくさんの経典を船に積んで運んだ時、これも経典をかじる鼠害を防ぐのにネコ(唐猫)も積まれていたのである。
これは大昔のことで航海は命がけ、嵐に飲まれ大勢のお坊さんや経典が海の藻屑となった、と描かれているが、当然一緒に乗っていたネコも海に沈んだに違いない。

さて、展覧会を見て思ったが、昔からネコは人と密接に暮らしており、ネコを愛でる人の表情は柔らかで生き生きとしており、現在に至るまでネコが人の大切なパートナーであることが伺えた。
展覧会は大盛況で、衰えないネコ人気、やっぱりネコって愛しいなあ。

2023年5月 くどいけいこ