コラム「猫の手も借りたい」№132 盛夏

タマが亡くなり、はや2ヶ月半、時はあっという間に過ぎていく。
彼女のいない生活に少しずつだが慣れて来た自分がいる。

もちろん、お外にいるトラミ、くー、なっちゃん、他3匹ほどの「地域ネコ」には変わらず餌やりしてるか ら、夜の忙しさは相変わらずではある。
家の中はシーンとして、よそんちみたい。
もちろん、タマがにぎやかだったわけではなく、気配がない。
いつ何時(なんどき)でも、ふと、この時タマはこうだったな、こうしていたなと思い出し、切ない。
この世から消えてしまった彼女に、どうしているやらと想いを馳せる。

私の中で変わって来たことがある。

それは、生前は自問自答して来た、彼女の病気に対する「治療」のこと、常に「強いているんでは」と辛かった。
10年間毎日飲ませ続けた薬、それも何種類も。
5年前からは注射で慢性腎不全の「補液」も行って来た。
この治療がなければ、彼女はとっくにこの世から居なくなっていたことは間違いないだろう。
もちろん治療は、彼女が望んだわけではない。

しかし、動けなくなった彼女が自ら選んだ最後の場所は、私の寝床の枕の横だった。
弱って行く彼女と交した生の証は、お互いの指を握り返しあうことだった。
これは亡くなるまで続き、「おねえちゃん(私のこと)、好きだよ」とのメッセージ以外のなにものでもなかったのではないか。
やはり彼女は、私のところへ来るべき子で、私の腕の中で一生を終わる子だったのだと。

このところ、少し気持ちが和らぐ私がいる。

タマが亡くなってから、うちは親一人子一人だったので、周囲のボランティアさんが「たくさんいるから(保護猫が)、いかがですか?」と私の顔色を見ながら尋ねて下さる。
残念ながら、私はもう十分年齢を重ねて来たし、独り者の私は次に頼める身寄りがないので、丁重にお断りをしている。
もちろん、もう10歳若ければ、次を迎えたことであろう。

こうなると不思議なもので、タマとならまた暮らしたいと思う。
タマだ、と思った子がいたら一緒に暮らすかも知れない。

さて、このクソ(すいません、下品で)暑い酷暑をどう乗り切るか、頭がいっぱいである。
お外のネコたちの好きなものをそれぞれに選んでやり、食べさせる。
ネコたちも少しでも涼を求め、車の下や風通しの良い場所に移動している。
なんとか少しでも暑さが緩む時が欲しい。
神様、仏様、ちょっとでも「お休み」を下さい、と天を仰ぐばかりである。

そんな時に、「マダニ」による感染症で、西日本で亡くなった方が出たとニュースで大きく報じられた。
その原因は、なんと猫に咬まれたことによる、という。

私は、ここ15年ほど活動し、たくさんの猫を捕獲しているが、一度も咬まれたことはない。
常に注意をし、絶対に咬まれないようにしている。逆に咬まれるようなことはしない。
動物による「感染症」は、人が注意しないとどうにもならない。

日ごろから私は、猫を触ったあとは必ず手洗いを励行しているので、手は荒れ放題だ。
これは、飼い猫でも同様である。
やはり、猫による「感染症」の防止のためである。

非常に残念なことが起きてしまった。

猫に関わらず動物に接する時は、みなさん、十分に注意してください。

 

2017年7月 くどいけいこ