コラム「猫の手も借りたい」№19 3・11 下
人の波をかき分けて、JR新宿駅南口で車の友人と合流出来た。もう 1人板橋に帰る友人も同乗しており、計3人で顔を見合わせほっと一息。
さて、やっとの思いで合流したはいいが新宿から車が抜けられない。 JR新宿駅南口から西口のバスターミナル前を通って新宿警察辺りに行くのに、たぶん1時間以上はゆうにかかったと思う。
そうこうしているうちに、近所の友人から「窓辺にタマ発見!」の吉報が。は~、良かった。無事が確認出来、本当に安心した。
車は相変わらず、渋滞の真っ只中にあり、身を委ねるしかない状況。時間は深夜にも関わらず、この寒い中人々は延々と数珠繋ぎで歩道を黙々と歩いており、車中から見えるコンビニのお弁当やおにぎり、パンの棚はどこも空っぽ。歩道に設置されている公衆電話の前には長い長い列が出来ている。そう、携帯が繋がらないのだ。公衆電話は携帯電話よりは確実に繋がったからみんなが利用した。被災地に家族や友人がいる人は、安否確認に必死だったに違いない。東京も本当に混乱していたのだ。
車中では、全くと言ってよいほど前に進まない状況に、運転している友人は「寝てていいよ~」と言ってくれた。
助手席の友人がGPSを持っていたので、車のナビとダブルで空いている道路を探しに探し、しばらくすると、かなり迂回してはいたが車は何とか渋滞を回避し走れるようになって来た。すごい。
時々繋がる携帯電話で、家族のいる友人宅では本棚や食器棚が倒れ、食器が割れるなどの被害が出ていることがわかり、うちでも家具の転倒が心配だった。
北区の自宅に着いたのが深夜2時、家に入ってびっくり、本棚が倒れて壊れていた。タマはというと、必ず玄関まで迎えにくるが、今夜は窓辺から下りて来ない。それもそのはず、壊れた本棚が床を埋め尽くしていたからだ。「タマ!」っと名を呼ぶと、それでも何とか本棚を乗り越えやっと傍に来たので、すぐに抱きしめ無事を喜んだ。水を取り換え、ご飯、投薬。外にはお腹を空かした外猫たちも、私を待ちわびている。
外猫たちのご飯は3時近く。怯えてはいるが、みんなケガもなく勢揃いで安心した。食欲はみんなイマイチ。猫でさえ、さぞや怖い思いをしたんだろうと、想像がついた。
翌日土曜日(当日か~)も勤務があったが、寝床に入ったのが明け方 4時、7時に起きて8時にうちを出た。
タマは食欲などに変化はなかったが、2~3日は私が帰宅した時の日課「お迎え」がなかった。が、その後は元に戻った。余震が来ると震えるペットが多い中、タマは揺れても平気、不思議な猫だなぁ。
この間テレビで、東京の「帰宅難民」のことを取り上げていた。3・ 11は300万人くらいが帰宅難民になったらしいが、高速道路も閉鎖されたため、車の渋滞の凄さも問題になっていた。帰宅出来ない家族を迎えに、予想を遙かに上回る自家用車が道に溢れたというのだ。都民にあまり認識はなかったが、色々な施設があちこちにあり、帰宅出来ない人が宿泊することが可能なそうで、あのような被災時は混乱を避けるため無理に帰宅せず、これらの施設を利用し宿泊して欲しい、とのことであった。
私だって泊まりたいが、たかだか猫だけど命にかかわるような「投薬」がある場合、帰宅せざるを得ない。猫でもそうなんだから「人」ならなおさら同じような状況があるのではないだろうか。高齢の親がいる、自宅介護の家族がある、などで必ず帰らなければならない人もあるだろう。その辺りも考えて、統計数字は立てられていたんだろうか・・・
2011年/4月某日 くどいけいこ
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