コラム「猫の手も借りたい」№18 3・11 上
あの日、私は渋谷の職場で被災した。ビルの4階にいたが、耐震性の高い新しい建物だったから、部屋の中では倒れた什器も棚から落ちたものもなく、難を免れた。
東京はご存じのとおり、鉄道各線は地震直後から全面ストップ、夜も遅くなってからやっと地下鉄が動き出したが、時すでに遅く道路は車の渦であった。高速道路も通行止めとなっていたため、渋滞にはさらに拍車がかかった。
私の職場では、従業員、それから帰宅できなくなったお客様も職場のビルに宿泊することになったが、帰宅出来る人は帰宅してください、との指示が、それも20時を回ってから出た。
私の同居家族は、猫1匹である。推定年齢11歳の女の子、名前は「タマ」という。
被災後、真っ先に頭に浮かんだのは1匹で留守番させている「タマ」のこと。タマが寝たりくつろいだりする場所には、万が一を考え家具が転倒しないようにしてある。彼女も寝る私の寝室にも基本的に家具を置かないようにしていた。それは、私のためにもなっている。だから、火事さえ出ていなければまず間違いなく命に別状はない、と信じていたが、しかし、こればかりは「絶対大丈夫」という保障はどこにもなかった。
普段なら夕刻になると、彼女は道路に面した窓辺から外を見ながら、私が帰るのをひたすら待っている。メールが通じた近所の友人に窓辺にいるであろうタマの様子を屋外から見て貰うように頼んで返信を待ったが「窓辺に姿がない」という。どうしたことか、不安が募った。
と、同時に彼女は厄介な持病を抱えている。「突発性肉芽腫性炎(とっぱつせいにくがしゅせいえん)」という病気で、猫には症例が少ないが、犬のミニチュアダックスなどには多い病気であり、何度か危機を乗り越えた彼女だが(「飼いねこの外出 №11」でも紹介)、ステロイドによる投薬治療が欠かせずすでに5年目に入っており、毎日薬を飲ませていた。この「投薬」も必ず行わなければならない大切な私の役割で、欠かすわけにはいかなった。もし、このまま私が職場に宿泊すると、彼女は薬を飲めないことになる。ましてや大きな地震でストレスを感じているであろうことは容易に想像できたので、彼女の体調を考えると何としても帰宅しようと心に決めた。
実は19時頃に、新宿でお店をやっている猫仲間の友人が、近くまで車で来ているから職場へ迎えに行くよ、とメールをくれた。なんとラッキーなことか!しかし、まだ勤務が終わっていなかった私はその旨友人に連絡し、何時になるか判らない、残念だがあきらめるから先に帰宅して、と返信したところ、何時間でも待つから一緒に帰ろう、と言ってくれた。これもうちのタマの事情を知っていて心遣いをしてくれたのだ。ありがたさが身に沁みた。
結局、職場を出られたのが21時半頃。その時の甲州街道と言ったら、いや~、凄かった。車の渋滞だけでなく歩道は帰宅者で溢れ、人の波に逆らって歩くことは困難な状態であった。
私は友人と合流すべく、新宿目指して甲州街道を歩きだした。あまりの道路の混み方に、私も徒歩で行けるところまで行こうと考えたからだ。歩道を人の波に逆らって歩いたが、それでも何とか新宿に到着し、運良く友人と合流出来たのがすでに22時頃と記憶している。
新宿は、「車」と「人」の波に飲まれていた。
続きます。
2011年/4月某日 くどいけいこ
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