コラム「猫の手も借りたい」№17 被災の地で
「3月11日」は、私たち日本人には忘れることの出来ない日となった。
東北地方太平洋沖を震源とする地震が起こり、それは大きな津波の被害をもたらした。私は東京の職場で被災したが、その数時間後から続々と寄せられる被災地の映像は、息をのむような凄惨なものであった。
私は、勤務に追われてニュースを見ておらず、実際にその光景を見たのは13日の日曜日であった。その光景は、皆の眼に焼きつき、誰しもが一生忘れることは出来ないであろう。「阪神・淡路大震災」の映像も忘れることは出来ないが、あの「大津波」に飲まれる都市や街を見て、これはとんでもないことが起こったと、誰もが思ったはずである。それから刻々と入ってくる情報の物凄さに「夢であって」と何度願ったことであろう。
人は、誰でもちょっと良いことがあると「日頃の行いが良いからよ!」などと浮かれたりするが、こんな大きな震災をみると、そんなことなどで逃れられるどころか、ビルや家を街や都市ごと飲み込む途方もない天災に、根こそぎやられた海岸沿いの人々を思い、神も仏もあったものか、と天を恨んだ。
かろうじて津波から助かった人々も、家族や財産を失って、途方に暮れられていることと思う。お身内や親戚、友人を亡くされたり、行方が知れない方々が、まだまだいらっしゃり、「復興」などという言葉など想像も出来ない方も、さぞかし多かろう。
携帯電話に頼っていた連絡先の電話番号をすべて失い、家族や友人と連絡のつけようがない被災者たちのなんと多いことか。ここまで規模の大きい天災だと、本当に人間はなすすべもないほどの打撃を受けるんだと、私たちは思い知らされた。
日本中だけでなく、世界中から応援のメッセージが映像などで届く。しかし、電気もない寒い避難所や半壊した自宅で生活していらっしゃる、全ての方々の眼や耳に届くのは、いつになるのだろうか。
被災された多くの方々と共に、パートナーとして暮らしていた多くのペットや家畜、動物たちも同時に被災したはずである。被災者の方々がそれこそ必死の思いで避難生活を続けていらっしゃる傍らにペットの影がチラリと覗くと、慣れない避難生活の中で、さぞやペットを守るのに大変な思いをされているであろうと想像がつく。もちろん、ご家族とともに命を落としたペットたちも多いに違いない。また、ペットだけが助かったり、家族と離れ離れになってしまったケースも多々あると思う。
水が引いた瓦礫の中を、大きな犬が1匹、あてもなく歩いている映像を見たが、本当にどうにかしてやりたくても、どうしてやりようもない現状に、胸が痛んだ。このペットや動物たちになんとか手を差し伸べてやれないものか。
2011年/3月某日 くどいけいこ
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