コラム「猫の手も借りたい」№192 グーグー 下

その後、続編3巻はデスクの脇にしばらく積んでおいた。読み進めるにはちょっと覚悟が要ったからだ。

とは言ったものの気になって気になって、覚悟して手に取った。
読んでいくうちに、うんうん、と頷く自分がいた。

事故で長期入院を余儀なくされたノラちゃんが、2ヶ月も入院していたにも関わらず、私宅に迎えても慣れてくれず、シャーと発っして逃げ回る、これはよくある話。
みなさん、一生懸命人が手を尽くしたんだからきっと解るよね、感謝して大人しくなるよね、とおっしゃるが、個体差はあるが、理解できない子がほとんどなのは経験から知っている。
また、仲よしだった子を突然(普通みんな突然ですね)拘束しようとしたら失敗し、その後触れなくなり、その関係が元通り修復できるまでなんと2年もかかった、とあるが、私のネコ友で、ワクチンに行こうとキャリーに入れる時失敗し、ま、大丈夫だろ、と様子を見ていたらずっと警戒され続けていてナーバスになっている人がいて、その話の4ページを写メで送ったら「私だけじゃないんだ~」と返事がきた。
またまた、昨日まで寄りつきもしなかった子が、突然スリっと寄って来たり、私宅室内のクッションに寝ていたり(大島さんちは出入り自由の子もいるので、その入り口から入ってもこれる)、あら、どうしたの??!!というような、突然の、予想もできなかったようなネコの変貌、これも私も何度も経験し、他からもよく聞く。

だがやはり、シリアスな場面では思わず体に力が入った。
亡くなる子の闘病や看取りで奔走される大島さんを読みながら、思わず声を出して泣いていると、その声を聞きつけ上の階から降りてきて「どうしたの?」と、不思議そうな顔でペルがぴったり寄り添ってくれた。
ネコの優しさにもふれられ、さらにオイオイ泣いたりした。

数が多いから、その分日常のお世話にも時間がかかるだろうし、体調を崩すネコも重なったりし、なんでもおひとりでされる大変さ、当然おサイフにも響くであろう。

私のような小物のいくじなしは、とても大島さんの真似はできはしない。
続編の帯に「死を真っ直ぐに見つめ、悼み生きていくことの凛々しさがある」とあるが、本当に凛々しいとつくづく思う。
大島さんは、こうやってネコたちを「漫画」にして残してやれる、それって辛いけど彼女にとって必要なことなのかもしれない。
書くことで「昇華」している、とも思う。かく言う私も、こうやって書いてはいるが、大島さんには遥か及ぶはずはない。だが、このコラムを読み返していると、昔のことや亡くなった子たちのことも「そうだったなあ、、、」と思い出すことができ、感慨深い。

3巻を読み終え、私はシオリに、ここまでで元気でいる子たちの名前を書いて挟んだ。
このシオリは先ごろ私の友人が届けてくれたもので、まあるい形で、いろがみで折った小さな男雛女雛が並んでおり、素敵だ、と思ったものだ。

この続き、4巻はそのうち発行されるだろう。
怖いもの見たさ、と言うのとは違う、いや近いか。
いずれにせよ、追っかけていくしかないな。

2020年3月 くどいけいこ