コラム「猫の手も借りたい」№163 フードボウル
タマのお皿を割ってしまった。
大事に使っていたので、しばらくは取り返しのつかない状況についていけず、泣きながら「かけら」を拾った。
ウエッジウッドのボウルで、絵柄は ピーターラビット いただきもので私が愛用していたのを「おさがり」でタマ用にし、水飲みの食器として重宝し、大事に大事にしていた。
タマが亡くなってからは、トラミさんのフードボウルとして使用し、これまた、食器の大きさ、底からの立ち上がり加減がいいようで、別の食器で与えていた時よりトラミの食欲がぐんとアップしたので、気をよくしていた。
は~っ、と気が抜けてしまって、自分の浅はかな行動(割ってしまうという)にゲンナリした。
こんなに落ち込むなんて、びっくりだ。
時間が経って落ち着くにつれ、良かった、割ったのが私で、、、と思うようになって来た。
私が遠出をする時に留守番を頼む友人や、ご近所さんでなくて良かった、と。
「陶器」に「割れる」はつきもので、「形あるもの」は壊れるものだ。
もちろん、同じものはまだ手に入るかもしれない。
何百年も前の「骨董品」などではないのだから。
数千円はしようが(けっこうお高いです、ハイ)、欲しくなったらまた購入したらいいのだ、と思うも、
「タマの食器」であったからここまで騒いだわけで、そうでないならなにもここまで、とも、、、、
とりあえず、トラミのフードボウルは、他の食器で対応しており、まあ、それで問題はなさそうである。
タマが亡くなって久しい。かれこれ1年半だ。
タマの遺影も遺骨もそのままリビングにあり、なにかある度に「助けてね(お願いごとしかしない)」と手を合わせ、お参りしている。
時々、遺骨を手に取り、なでたり、頬ずりしたり(壺のままですよ)。
私の手を離れた彼女は、それこそ「千の風になって」自由にお外を駆けずり回っているんだろう。
そうであって欲しいと、心から願う。
あれから1年後、今年の5月にやって来た保護ネコ「ふうた」。
春のある夜のこと、彼は私宅前に倒れており、慌てて保護し1泊させて動物病院へ。
1ヶ月入院して、戻って来た。
ペルシャ猫のMIXで、ロングコートの男の子。
毛玉が酷く、入院中にやむを得ずバリカンでボディを刈られ丸刈りの状態だったが、今はふさふさモフモフで、なんとも言えず可愛い(保護主バカ)。
ふうた と名付けうちでいそうろう中。
とにかく人好きで、後追いする。
私は「鈴付き」の首輪は好きではないが、音もなく足元にいたり絡み付いたりするので、居場所確認のため、鈴付き首輪をしてもらっている。
ネコって足音をさせない動物だから、常に「どこ?」と思っていないといけない。
もちろん、タマはこんなことはなかったが、特に ふうた は、要注意、油断すると踏んでしまいそうである。
正直、こんなに慣れた子と一緒に暮らしたことはなく、新しい驚きである。
いそうろうの ふうた 可愛い、飼いやすい子である。