コラム「猫の手も借りたい」№129 みタマ

ゴールデンウイーク中の「こどもの日」の早朝、タマが逝ってしまいました。

覚悟はしていましたが、亡くしてからの喪失感は例えようもなく、取り返しのつかない現実にふと気がつくと声を上げて泣いている自分がいます。

 

今年に入ってから彼女は「血糖値」が上がり、このための対処としてインスリンを少量ずつだが朝晩と2回、打つようになった。 それでしばらくは良かったが、2月に入り食欲がなくなって来て、さて、どうしたもんだか。
もちろん、主治医は懸命に治療してくださった。

その甲斐あってか、3月は持ち直し体重も戻って来て、この日々が1日でも長く続くように願うばかりであった。

タマは外から保護したネコで、保護時は推定5-6才であろうとのこと。 それから12年、17-18才くらいになっているのではと思うが詳細は判らずじまい。 命を脅かされるような、大きな病気を2回も経験し、大学病院さんのお世話にもなった。
病気と縁が切れることはなく、主治医のN先生、病院スタッフのみなさん、本当にたくさんの方に支えられた、タマと私であった。

慢性腎不全も5年前から発症し、皮下点滴をずっと行って来たし、持病の投薬も10年続いていた。
誰しもトシに勝てる者はいない。頭では重々承知で、病院さんで診察の折も、いつかはお別れが来るんだし、などと強がりを言っていた私だった。

彼女を亡くして3週間あまり、私はうちでひとりになった。
フードや重たいトイレ砂も必要ない、お風呂やトイレのドアを閉めなくてもいいんだし(ふつう閉めますね、、、)、宅配のおにいさんがどんなに玄関を開け放してもいいんだし、押入れやふすまを少し開けておかなくてもいいんだし、毎日のエアコンのタイマーも気にしなくていいんだし、皮下点滴も投薬も、粉薬をカプセルに詰め替えなくてもいいんだし、くず籠に食品の匂いのついた包み紙を捨ててもいいんだし、さきいかをどこで食べてもいいんだし、あれもこれももう気にしなくていいんだし、、、 目いっぱい制限があっても、大変でもなんでもいいよ、タマがいない虚しさに比べたら、、、

寝室で本を読んでいると突然、耳元で「にゃ~」、「あー、びっくりした、脅かさないでよ、タマ」って毎回言いながら、お互いに機嫌よくお布団で眠った日は、二度と戻ることはない。
何気ない本当に何気ない日常だったが、タマが私にくれた大事な大事な時間だったんだね。

4月に入ってからはどんどん衰弱が進み食べられなくなり、経口薬の投与を止める決断をした。
脱水は辛かろうし血糖値も心配で、最後の最後まで皮下点滴やインスリンは続けたが、ごめんね、痛かったね、タマ。

最後の1週間は、夜中ずっと鳴いていた、不安だったね、タマ。

まったく動けなくなっても、私の人差し指を右前足の肉球で、ずっと握り返してくれたね、タマ。

すべての治療を止めた翌々日の早朝、体位を変えるね、と抱き上げたら声をあげ、寄り添う私の横で、タマは動かなくなった。
ご苦労様、タマ、頑張ったね。

お気に入りのブランケット、首輪、出来る限りの支度をしお弁当も持たせてやり、タマはひとりで旅立って行きました。
ホントにありがとね、タマ。
着いて行ってやれないけど、気をつけて行くんだよ。

 

2017年5月 くどいけいこ