コラム「猫の手も借りたい」№114 しんちゃん

先月(5月)10日から、キジシロの「しんちゃん」がパッタリ来なくなった。 すでに1ヶ月以上経過したが、その後、一度も彼を見かけていない。

いったいどうしたのだろうか。

この春でちょうど10歳、猫にしたらけっこうな年齢だが、それでもとても元気で来なくなる前の日、ちょっとお腹が張っているように見えた。
あれ?っと思ったのは確かだが、食欲に変化はなくいつも通りよく食べた。
その翌日、姿がない。
私の給餌時間は、早い時で午後7時くらいからで、だいたい8-11時くらいである。
だから、ちょっと早いと餌場に来ていないことも時々あり「しんちゃーん」と呼ぶと「にゃー」と出て来た。
それがその日は、呼んでも待てど暮らせど出て来ない。
私はなぜだか、もう二度と会えないんじゃ、と変な予感がしていた。

本当にそれっきり、会えずじまい。

先を争うように一緒に餌場に来ていたシマ三毛の「ムギちゃん」はというと、所在なさ気に1匹でやってくる。
最初は、今でもか、彼女はまだしんちゃんを覚えているらしく、いなくなって「違和感」がムギちゃんにもあるようだ。
寂しげに見えるだけでなく、実際に寂しい、という感じ。
そりゃそうだ、ここ7年くらいは一緒にごはんを貰いに来ていたもの。

外にいる猫たちの給餌は、こういったことと隣りあわせだ。
近隣に聴き込みをしたが、消息は杳(よう)として知れない。

兄弟(同腹)の「なっちゃん(こっちも♂)」はしんちゃんよりずっと懐っこくて、抱っこも出来る。
しんちゃんはなっちゃんに比べ数段用心深かった。 慎重派だった「しんちゃん」がいなくなるなんて、なんだかキツネにつままれたようだ。
10年面倒を見ていて、来なくなった子は初めて。
いつかは、いつかは別れる日が来るに違いないと覚悟はして来た。
それこそ10年間来てくれたことの方が奇跡なんだと思う。

ここまで書いたら急に込み上げて来るものがあった。
今、どうしているやら。
本当に無事でどこかで生きていてくれはしまいか、とそればかりが浮かぶ。

君は、一番の大食漢だったね。大きな口を開けて毎日のごはんをキレイに平らげくれて、ありがとう。
私はそれだけで幸せな気持ちになれたよ。
毎日毎日10年間、私の帰るのを首を長くして待っててくれたよね。
10年を振り返ると大変だったけど、でも私が東京にいる時は、大雨でも雪でもそれこそ震災の時にも、私が風邪で高熱が出ていても必ず通った。
東京にいない間給餌をお願いした友人の顔も、賢い君たちは(親バカ)すぐに覚え友人におねだりしていたね。

この平穏な日常から君が外れるなんて、もっと先だと思っていたのに・・・

しんちゃん、本当に心からありがとう。

 

2016年6月 くどいけいこmachi_beret - コピー