コラム「猫の手も借りたい」№44 小さな幸せ 下

最初は会社も休んでいたMさんだったが、さすがに長丁場になってくるとそうもいかなくなった。

食欲も全くなく、口に出来るのはコーヒーのような飲み物だけ。仕事に出て行くご家族は、みなさん、帰宅時は正規ルートではなく、少しずつルートを変え捜索し、また情報収集に努めた。

捕獲器も近隣のボランティアさんから拝借し、もしも素手で確保出来なかった場合にはいつでも使えるように備えた。

考えまいとしても頭に浮かぶのはTくんのことばかり、私はもっぱら電話でお話しし、もちろんTくんのことを話してはいるんだけど、それでも話してる間はMさんの気が紛れるように、と願った次第である。

Mさんは、この間出来る限り近隣を回り、とにかく目撃情報の収集に努めた。普段ならご挨拶程度のご近所の方に、それこそくまなく話しかけ捜索の協力をお願いした。ご近所事情もこんなことがなかったら知る由もなかったかも知れない。

9日目、とうとうTくんは兄弟姉妹(きょうだい)と一緒に玄関の階段下に姿を現した。多少やつれてはいるものの、見た目では大きな変化はなく警戒している様子。フードだけ置いて見守った。

「気が急いて」一度取り逃がしているだけに、今度は絶対に「慌てず急がず」と胆に命じた、とのこと。さぞかし歯痒かったことであろうが、ここでまた同じことの繰り返しはすまい、と「冷静に」を頭の中で反芻したというのである。

捕獲器で、とも思ったらしいが「今は(Tくんとの)距離があるが、これからは必ず縮まる」と焦る心を抑えに抑え、フードを食べ終え兄弟姉妹(きょうだい)と去っていく後姿をその日は見送ったという。

翌日は朝から階段を上がって玄関ドアまで来るようになった。

玄関ドアを少し開け室内にフードを置き、入ってフードを食べたら「バタン」とドアを閉じる、てな訳にはいかないのかなと思いアドバイスしたが、ドアの仕様がそうは出来ないものらしく残念ながら無理、と返事が来た。

ここまで来たら焦らずにチャンスを待ちます、とMさん。そうは言ったものの、万が一失敗したらと内心は穏やかではなかったに違いない。辛かったことでしょう・・・

暗くなってからやっと抱っこして確保、無事室内に連れ戻した、と連絡をいただき、本当にほっとした。

このことが起こるまでは、何の気なしのTくんとの日常、いつでも手の中にある、ほんの「小さな幸せ」だった。ところが、実はすぐに手の中から零れてしまう「幸せ」だったことに気が付いた。

もちろんご自分の子どもと一緒にしたりは出来ないが、人の庇護のもと一緒に暮らす動物は、オーバーに申せば最初から最後まですべて自分で責任を負わねばならない存在であり、いろんな意味で、自分の生活の中で大きなウエイトを占めているんだと改めて感じる。

なんのことにも、無事で帰ってきたTくん、以前に比べ家族との絆はより深いものになったに違いない。

 

2012年/7月某日  くどいけいこ