コラム「猫の手も借りたい」№226 嬉しい出来事
このところ、低気圧の影響で、雨、風の強い日があり、その合間を縫って外ネコのエサやりに行く。
ある日、エサやりに行く途中のお宅の窓をふと見たらば、スダレが外れているのが見えた。
このお宅はご高齢のご婦人がおひとりで暮らされているのを存じ上げていたので、庭木戸を開けて入り、スダレを直しながら、お声かけをした。
どなた?とお礼を言われながら驚かれた。
このご婦人は、実は2010年にコラム(№7、8『深夜の小声バトル』 過去のコラムは チームアーカイブ からご覧いただけます)に取り上げさせていただいた方で、その後1~2回お会いしたくらいであった。
ネコの数について、この近隣にはいなくなったわね、とご婦人。
この10数年の話をさせていただいたところ、実は、あの時はあなたにネコの避妊手術のことを聞いても半信半疑だったのよ、かなりお酒が入っていたこともあったけど、と言われた。
この近隣の飼い主のいないネコを20匹(その時はまだそんな数字だったかと、コラムを読み返してわかった)手術した段階であった。
バトルした時は、避妊去勢手術をした上に、エサをやって世話するなんて、というようなニュアンスが対話から感じられた。
みなさんそうなんだろうが、手術してほっとけばすぐに減るでしょうに、なんでエサ?と思われているみたいである。
「TNR」という活動は、ネコを減らすための活動なのは間違いないが、ネコと共生を目的とするものなので、給餌がつきものなのである。
なにはともあれ、ネコは徐々に減りご婦人は驚かれていた。気がついていた、とのことだった。
本当にありがとう、と言われたが、ため息も聞えた。
80才になろうとしていらっしゃるそうで、コロナ鬱でどうしてよいかわからないと嘆かれた。
それは私も同じですよ、と返したものの、本当に大切な時間を閉じ込められて暮らす辛さ、特に高齢者にとってはひたすら辛いものであることは間違いない。
こんな時期でなければ、ご近所同士、お茶でもいかがですか?と時間潰しも出来ようものの、今はそれが許されない。恨んでも恨み切れない感染症のやっかいさ、なんとか持ちこたえるように当人が前向きに日々を過ごすしかない。
それはさておき、このように成果があがると「TNR」に納得していただけて、お礼も言って下さり、嬉しい出来事であった。
さて、前回のコラム、ムギちゃんの置きエサに関する内容で、「あれからは置かれていない」と結んだその夜、置かれていた、とほほ。
よし!と思いたち、置きエサは止めましょう、という内容の紙を、エサが置いてある地面に置いたら、その日はその紙の上に置かれてしまった。はー、ため息でるよ、ホント。
後日、2時間現場で張ってみたが、会えず。
そうこうしているうちに思い当たるところがあった。
その近所に若い人向けのアパートがあり、そのアパートはアジア系の外国人がたくさん住まわれている。
日本語のお願い文を書いた紙を置いてもドライフードが撒かれるので、言葉の壁があるのかも知れない。
うーん、エサやりも国際化したか、って冗談言ってる場合じゃない。
お願い文を、英語を含め8ヶ国語ほどを、翻訳ソフトを使って用意した。
エサをやりに行く時は、必ずそれを持参している。
遇えるといいのだが。