コラム「猫の手も借りたい」№224 ムギちゃんの置きエサ 上
ムギちゃんは、私がごはんを持っていくのを、じっとじっと待っている。
1日1回の夜のごはん、お皿いっぱいのごはんを、彼女は一心不乱にほおばり、15分ほどでキレイにたいらげる。
私は、彼女がごはんを食べ終わるのを、すぐ傍で待っている。
「置きエサ」はせず、お皿をさげ、ひと椀の水を新しいものに替えるため、ペットボトルを持参する。
今日もお皿を回収し、お水を替えて帰ろうとした時、ふと「置きエサ」に気がついた。
ドライフードが地面にバラバラと撒かれている。ある程度はムギちゃんが食べたその残りか、元から少ししか置いてないのか、よく見ないと気がつかない量ではあった。
うーん、困ったなあ。
ムギちゃんは、私が避妊手術をしたわけではないが、術済みであることは判っている。
だが、「耳カット」はされていない。
ムギちゃんが手術をした十数年前、この辺りではまだまだ耳カットは主流ではなく、カットの傷が「虐待」と取られるようなこともあり、耳カットされてないネコもいるのである。
十数年前の話なんで、ほとんどの飼い主のいないネコは寿命を迎えているが、残っている子もいるわけでややこしい。
ムギちゃんに置きエサをしている人に、コンタクトを取らなくてはならない。
エサを置かれると、今夜のように食べ残しを片付けないので、エサだけがその場に残り、そこに飼い主のいないネコがいることがクローズアップされてしまう。
「よかった、ここに飼い主のいないネコがいて~」と思う人はまず皆無で、大方の人が、困ったなあ、となる。
別に私は隠れてエサやりしてはいないが、「ここにネコがいます、飼い主のいないネコです!」と広報はしない。
飼い主のいないネコは避妊去勢手術を施し、エサやりを続けながら看取る、というルールがあることを知らない方も多いわけで、私は敢えてそれを声高に叫ぶよりも、静かにひっそりと生きている飼い主のいないネコに、寄り添っていくだけだからである。
様子を見ながらだが、ムギちゃんの置きエサが続くようなら、日が落ちた「夜」になったら、ムギちゃんがいる辺りの地面に、メッセージを書いた紙を置こうかな。
「この三毛ネコは、耳カットはしてありませんが、避妊手術は終わっており、エサの管理もされておりますので、ご安心ください。特に『置きエサ』は近隣住民の方の迷惑になりますので、エサは置かないでください」
ってな感じか。
このところ「置きエサ」に関する相談やクレームが、実はけっこう寄せられている。
そのご相談やクレームを聞くと、ノラネコや飼い主のいないネコへのエサやりは「置きエサ」であると思い込んでいる人が圧倒的に多いのではないか、と気がつく。
続きます。