コラム「猫の手も借りたい」№152 一年  

タマが亡くなって、1年が経った。
光陰矢の如しで、あっという間の1年であった。

ふと、どうしているかしら、とわけのわからない感情が頭をもたげる。
どうしているはずもない、きっと静かに眠っているだろうから。

一緒に暮らした12年余りの歳月。
遠い遠い昔のようにも思うし、そうかと思えば「階段」を登ってくる足音や息遣いを感じ、はっとするようなこともある。

小者の私は、別れ間際の辛かったタマを思い出す。
別れ際で辛かったのはほんの「2ヶ月」程度、あとは、大きな病気を乗り越えた彼女、ずっと「闘病」はあったものの、メンタルが強いから平気で乗り切り、それを見ていた私もずいぶん勇気をもらった。

亡くなってすぐは、私の落ち込みも激しかったが、看病や通院が大変だったので正直「ほっ」とした部分もあったように思う。
つくづく、自宅で亡くなってくれて孝行な子だったとも思うし、逆にうちで看取ってやれて大変ではあったが、病院さんに任せ切りにしないで私も頑張り通し、そんな自分を褒めたいとも思う。
病気の動物を病院に入れた(入院させると)とたん、自分の手を離れてしまうので、それからは病院の治療に頼り見守ることになるが、はっきり言って気持ちは大きく違ってくるからである。
入院させず自宅で看病を続け、最期を看取るのほど私にとって辛いことはない。
「引き戻せない悔しさ」を感じつつも、すべてのものに終わりはあるんだ、と自分に言い聞かせるしかない。
思い出しても悲しい、昨年のGWであった。

それからは、もちろん気持ちに波はあり、眠れない日もあったが、それこそ目覚ましで起きるようなことも出て来た。
それまでは、どんなに夜中に起こされ睡眠不足であっても、必ず朝は彼女が起こしてくれていた。

そう考えると、私の日常生活は変わって来ているんだ、と改めて思う。

遺影を飾った小さい祭壇には彼女の食器を置き、好きだったフードとお水を供え毎日取り換えていた。
燭台も置き豆ろうそくを灯し、彼女と向かい合う時間を持った、、、

ところが、このところどうかするとフードの取り替えを忘れ、ごめんよ、ということも出て来始めた。
やはり、時とともに少しずつでも忘れ、大きな心の傷もだんだんと癒えてくるんだな、、、

ところで、私が昨年夏に受けた「人間ドック」の結果で、驚くことがあった。
アレルギーの状態などが判る「好酸球」という数値が、改善されていることが血液検査でわかった。
私のホームドクターとドックの結果を見ながら、なんで?どうして?と首を捻った。
というのも、私は鼻炎や喘息などのアレルギーに永年悩まされ続け、症状を軽減させるため「通年」薬を飲んでいるのである。
今年の春は「花粉症」が出なかった。

「喘息」も抑え込まれているのか症状がない。
はー、これはいったいどうしたことか、、、
アレルギー検査は何度も行っているが「杉花粉」以外出たことはなく、当然猫のアレルギーもない。
ただ、やはり、ハウスダストの中には動物性のアレルゲンが含まれていたことは間違いなく、それも少なからずアレルギー反応を起こす一因だったのかも知れない。

なんだか、拍子抜けしてしまった。

これからは、タマと暮らし楽しかったことに想いを馳せ、笑顔で過ごすことを目標にしよう。

2018年5月 くどいけいこ