コラム「猫の手も借りたい」№174 世界と日本 上
GWは体調を壊し、ほぼ棒に振ってしまった。
3~4月の年度末から年度始めは、どこも同じであろうが忙しい時期で、残業続き。
もう少しもう少し、とやっていたら咳が出始め、GW直前に熱発した、やれやれ。
慌ててGW初日、主治医を受診したのは正解だった。
その後は病院も長期休診で、そこを逃したら救急病院のお世話になるところであった。
幸いにも「喘息」までは進行せず「咳」で治まり、そうは言ってもグズグズと咳は続き、外出できるようになったのは、GWの終わりごろであり、「最長のGW」は残念な結果になってしまった。
そんなこんなで、コラム更新も遅れました~
さて、少し前の話だが「東京の大学(エリート校です)」の入学式で、ある教授が贈った「祝辞」がいろいろ物議を醸しだしたのは記憶に新しい。
その祝辞の肝は「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」という部分。
「日本のエリートの卵たちに投げかけられたのは、勝ち抜くことだけを目指すのではなく、恵まれない人々を助けることに目を向けろ、というメッセージだった。」と続く。
今の日本は、「何もかもが自己責任。迷惑はかけないが、かけられるのはもってのほか」
「人は自分の成功や人生に責任を持てばよく、他人のことにかまう暇はない」
などという風潮が強くなり過ぎてはいまいか、と書かれた記事を見つけたのだ。
2007年のアメリカのある機関の調査によると「国は貧しい人々の面倒をみるべき」という考えに対し、同意すると答えた人は、調べた47カ国中、日本は59%で最低だった、とあった。
(2007年とかなり以前の統計ですが、今は更に進んでいるのかも、と思いました)
えっ、と気になって更にその先を読み進めると、、、
離婚、不登校、引きこもり、虐待、介護、事故、加齢など、こんなことがいざ自分の身に起きれば、誰もがあっという間に「弱者(貧しい人々、ですね)」になるかもしれないのに、その痛みを分かつ「想像力」を持たない人たちが世界のどの国よりも多くいる、ということではないか、と書かれている。
更に、欧米のあるチャリティー団体が、人助け、寄付、ボランティアの3項目についての評価を各国別にまとめて発表する「世界寄付指数(こんな指数があるんですね、、、勉強不足だ)」。
その2018年の調査では日本は144カ国中、128位だった、ということだそうだ。
項目別では、
〈他人を助けたか〉142位(下から3番目) / 〈寄付をしたか〉99位 / 〈ボランティアをしたか〉56位
という結果で、如何に日本の「それ」が低いか、、、
「(周囲に)迷惑はかけないが、かけられるのもイヤ」「人と関りを持つのが面倒」という、風潮がやはり強くなって来ているのであろうか。
「イギリスでもアメリカでも、老若男女、更には移民までも、自分の体と頭が動くうちに、その力を惜しみなく他者のために使うべきだという考えで、ボランティアや寄付、社会貢献といったものが、通勤電車に乗るように日常に組み込まれている」そうで、その証拠に離婚、DV、ホームレス、など多くの問題に対応する民間団体の活動が活発で日本に比べるとその数も圧倒的に多いらしく、自分が弱者になった時には、遠慮なく支えてもらう、そういった「支え合い」が出来る仕組みが確立されているようだ。
裏を返せば、そういった仕組みも十分に確立されておらず「自己責任」という言葉がまかり通る国になっているわけか、、、
う~ん、、、
例えば、あれほど礼儀正しい国民性に注目される、毎朝のラッシュ時のホームでの列車入線待ちの列、震災時に各国で話題にされる「供給物資」待ちの長い列、財布や携帯を失くしても届けられる希有な国、などなど、世界中の人々をうならせて来たのに、なのである。
続きます。