コラム「猫の手も借りたい」№63 最初のパートナー 上 

te buchi6月から続く子猫の里親会、もうてんやわんやです(汗)。次から次へと押し寄せる子猫の「波」にいやー、流石にアップアップです(猫の手も借りたい!)が、大勢の里親希望の方にご来場いただき、たくさんの子猫を救うことが出来、嬉しい悲鳴です。心より御礼申し上げます。


スタッフ不足もあり、せっかくご来場いただきましたのに、十分なご案内も出来なかった時間帯もあったかも知れないと案じております。
また、肝心要の猫が遅れたこともあり、大変申し訳ありませんでした。

8月の盛夏は里親希望の方がぐんと減るため、里親会はお休み、私たちも里親活動はしばし休憩となります。そのかわりでもないでしょうが、子育てを終えた母猫の手術依頼があり、保護のお手伝いなどで活動は続きます。
微力な私たちですが、皆さまの一助になればと頑張って参ります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

コラムも、そんなこんなで遅れに遅れました。お詫び申し上げます。久々のコラムです。

私が最初に暮らした猫は、白茶のオスで尻尾がうさぎのようなジャパニーズ・ボブテイル、名をチャオと言った。
07年の2月に虹の橋へ旅立ったが、それからすでに6年、光陰矢のごとしである。あんなに可愛がっていたのに、毎日聴いていた彼の鳴き声も記憶のかなた、はっきりイメージ出来なくなってしまった。

13才で慢性腎不全になってからは毎日1回の皮下輸液で存え、最後の2~3ヵ月は急激に病気が悪化したものの、それまでは普通に暮らし、結局発症から丸3年元気でいてくれた。
彼がいたからこそ、私はかけがえのないパートナーアニマルの存在を実感出来たと思っている。

頭が良くて用心深く他の人には馴れなかったが、病院では大人しく診察させてくれた。
人を咬んだり引掻いたりしたことは一度もなく、他の猫に相対し興奮した時でも我を忘れず、私が後ろから近寄って抱き上げても驚いて咬んだりすることも一切なかった。
しかし、我ながらまったくの親バカである。

チャオは最初、私が以前住んでいたアパートの大家さんが飼っていた猫であった。
大家さん宅で彼を飼うことになったいきさつだが、ある秋の日、彼は突然どこからともなく現れてうちの近所を彷徨っていたところを大家さんが保護、そのまま居ついてしまった。
大家さん曰く、彼の爪は綺麗に手入れされていたそうで、なにかの拍子で家を抜けだし迷子になってしまったのではないか、と。

その時彼は生後5ヵ月くらい。こんなに可愛い子、前の飼い主さんはそれこそ血眼で捜されたに違いない。
しかししかし、まったくの親バカである。

その後彼は、大家さん宅とうちのアパートの間にある、広い庭で遊ぶようになった。その庭を越えてうちに来始めたのが、彼が3~4才頃だったと記憶している。

初夏のある日、窓際の私のベッドで彼は休んでいた。見つけて近づくと用心深くくるりと逃げた。そんなことが半年ほど続き、その間に段々チャオとの距離が縮まっていった。
私は帰宅が遅い仕事をしており、長い夜、彼が遊びに来ることが多くなり、夜は泊っていくようになった(猫の話ですよ~)。
なーんか暖かくて可愛くて、そんなことをしているうちに、とうとううちの子になってしまった。

 

続きます。

 

2013年 7月 くどいけいこ