コラム「猫の手も借りたい」№207 ゆく年くる年
別に放送局のまわし者でもないが、今年は本当に思いもよらぬ年になり、その年を越すのだと思うと、なんとなくこんなタイトルが浮かんでしまった。
年明けには、まさかよもや、こんな年になろうとは、いったい誰が想像したであろうか……
春には確実に「コロナ」に取り囲まれ、にっちもさっちもいかない日々がやってきた。
現在は「第3波」と称される状況で、感染拡大が続き、感染者数はしたくもない「記録更新」の文字が毎日メディアで踊る、とんでもない昨今である。
全体的に気が緩んでいる、などの報道があるが、私なんぞ高齢の部類なので、緩んだことなど一度たりともない。
このところ冬に向かい、乾燥が進むと悪条件が整うのか、インフルエンザはこれだけ感染が防止できているというのに、新型コロナはますます猛威を奮っている。
やはり、発症前の時期から感染が始まり、さらには無症状の人が多く、いやでもウイルスが運ばれるからであろう。
ましてや、辿りつくのが呼吸器疾患の「肺炎」。肺炎は、普段でも死因の第3位であり、特に高齢者にはハイリスクで、肺炎で亡くなる人の97%が65才以上、と書かれているものもある。
とにかく、リスク回避のためできる限り外出は避け、「会食」は危ないので、お茶さえしておらず、まあ、味気ないこと。はー、ため息であるが、先を信じて生活していくしかない。
解ってはいるが、時々やりきれない気持ちになることがあり、こうやってコラムの場を借りて吐き出させていただいている次第である。
さて、コロナの影響で、TNRも見合わせざるをえない状況の地域や個人の方もおられると思われる。
それだけではない、譲渡会もあちこちで見合わせ、ということに……
かといって、協同作業を制限せざるをえないのは、この状況下では致し方ない。状況が緩和され活動が再開できる日が待ち遠しい。
トラミさんは、お陰さまでなんとか暮らしている。
炎症もいったんは治まったものの、やはり数値は落ち着かず、週に1回のペースで「補液」に通っている。
本当はもう少し補液の回数を増やしたいが、なんせ「シャー」が止まない彼女、あまり嫌がることをするのも考えもの、と様子を見ながら通院している。
ケージにいるが、寝床は「キャリーケース」。そうでないと受診が難しい。
キャリーケースの中で過ごしているから、彼女には申し訳ないが、病院にいく時はそのままキャリーのドアをバタンと閉めて、ニャオニャオいうのをなるべく時間をかけないようにして、連れていっている。
退院から約1ヶ月、嫌な通院には慣れそうもないが、それでも友人がいても、キャリーケースからちょっとの時間ではあるが、出てくるようになってきたそうである。
友人は、彼女の食事の準備をしていると「ニャア」と鳴いたりして可愛いよ、と言ってくれる。
投薬があるため、これまた友人の負担は大きい。
飼いネコだと粉薬はカプセルに入れて、錠剤はそのまんま、口の中に放り込むが、トラミさんはそうはいかず、投薬のためのトリーツ(おやつ)で包んで、ウエットフードの上に乗せて与えるが、これがなかなかどうしどうして、上手くぺろりと食べてくれる時もあるが、なぜかこれまた上手に(笑)、お皿に残してくれたりするらしい。
夜、そして朝にも薬があり、友人は投薬との格闘が続いていると思う。
トラミさんを引きうけてくれた友人には、感謝してもし足りない。
本当にありがとうさんです。
今日、病院で補液の後キャリーケースにドクターが戻してくれたが、シッポがキャリーの外に出ている。
「トラミさん、シッポと舌はしまってちょうだいな」というと、診察室は笑いに包まれた。
彼女、いつも舌がちょろりと出ている。これも加齢のせいと思われるが、これが可愛い。
親バカですいません。
こんな形の「ゆく年」、そしてほどなく「くる年」を迎える。
東京、日本、いや世界が迎える「くる年」が、よい年になりますように。