コラム「猫の手も借りたい」№281 マヨネーズかけごはん 下
今夜はどうかな、とエサ場に向かっていると、外国人の姉妹たちとすれ違ったがなんと、姉妹の手には紙のエサ皿が。
私は子供たちを呼び止め、ひょっとしてネコにエサをやった?と尋ねると、無言で、肯定も否定もしなかった。
この子のたちか〜、そうだったのか。私は、「ネコにエサをやらないでね、おばちゃん(私のこと)がちゃんとあげてるからね。ネコにエサをあげないでね」と言ったけど、なぜエサをやってはいけないかの理由、ゴミを散らかさないで、などそれ以上は話せなかった。
日本語がスンナリと伝わらないように感じたからであった。
これで様子を見ることにした。
が、翌日、翌々日となんとさらにひどい状態になった、びっくり。
ムギちゃんは、よそのお宅の小さな庭の奥から出てくる。
その庭の、枯れたアジサイのアーチをくぐって現れるが、そのアーチの先はどうなっているか見ることが出来ないが、そのアーチの奥の、かろうじて手が届く場所に、エサやオヤツの袋があるし、空になった紙皿、同じお宅の反対側の通路(庭)にも、エサの袋が散乱しているではないか。
よそのお宅の敷地内、誰かに見つからないうちにと、慌てて手を伸ばして敷地内にあるエサのゴミをかき集めた。
このお宅にとっては多大な迷惑だし、このお宅の前の道路にもあるので、お向かいのアパートの管理会社に連絡がいったり、子供たちのゴミだらけのエサやりの場に遭遇すれば、おまわりさんを呼ぶ人も出るかも知れない。
翌日は、早めにエサ場に行ってみた。
運よく、子供たちがちょうどエサやりしているところで、私は「こら、なにしてるの!」と叱った。
また、周囲はエサの袋や紙皿が散乱している。
「ネコにエサをやらないで、って言ったよね」といいながらなんでいけないのか、説明するがはっきりとは伝わらないようだ。なぜそれがわかるかというと、子供たちが私に話してくる日本語を私が理解できないのである。はあ、言葉の壁ってどうしたもんだか。
子供たちから「もう しません、もうしません」との反省の言葉を聞いて、ゴミを片付けさせた。
それからは今のところエサをやる様子はないが、夕方になると私の家のインターホンがピンポーンと鳴る。
出てみると子供たち、「ネコ、お腹空かしてる」と来るようになった。やれやれ。
このまま様子を見るわけだが、大人でさえ苦労してエサやりをしている昨今、小さな子供がノラネコにエサをやるのは、さらに問題を引き起こす恐れもある。
しかし、子供がノラネコにエサをやれない事情がある日本も、なんだかなぁ。